「華麗なる一族」読中メモ
もう40年も前の作品になるのか。
今は中巻まで読み進んだのだが、読者が行間から読み取ろうとする印象までもを自らの思い通りにしようというあざとさがありありと表されていて不愉快になった。
読者とは、書き手の思考の苦労の結果を拝まさせて頂く立場でしかないと思って書いていたのだろうか。読みながらその場の情景を頭に描く楽しみをことごとく奪われるので読み進めば進めるほどにイライラする。
しつこいのは小説を書くのに必要な取材や資料集めの段階まででいい。
苦労して理想通りに産み育てた我が子こそ自分自身であり、自分が子を愛するように、いや、子を通して世間の全ての寵愛を自分の思う通りの形で手に入れようという執拗なまでの母心、自尊心がおぞましい。
自分の体から何等かの形で放たれたものは、もう自分と一心同体ではないのだ。己の血汗がいくら込められていても、それはもう自分からは全く離れた新しく出現した存在であり、それが世間をどう歩いて行こうが関知しないのが親ではないか。
作品を産み出す人は、その辺りをわきまえて作品を作って欲しい。その存在の親であると主張し、子供に危機が訪れたならば手を貸せばいいが、世間に出た我が子をいつまでも自分の意のままの子として扱うのはどうかと思う。
その点で言えば、ケータイ小説は読者が好きなように行間で遊ぶ事が出来て楽しいであろう。
しかし、自分の意のままに遊べるおもちゃはすぐに飽きてしまう。
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